3年余り保健室コーチングを学んできて、ようやく最近、「本来の自分」「状態管理」の意味やその大切さを実感し、「相手は鏡」「自分が発信源」なんだと意識して生活するようになってきました。
あんなに苦手だった全校朝会での話や会議の司会、様々な発表の場面も、以前に比べると落ち着いてできるようになって、そんなところにも自分の変化を感じていました。
ただ、「本来の自分ってどんな自分?!」とぼやっとした心許ない感じをずっと持っていました。
「一緒に学ぶ仲間がいる」という安心感がある一方で、職場では、ときどき、孤独を感じることがありました。
個人セッションは私にとって、自分の状況を聞いていただいて、体を調整していただき、自分を取り戻すという時間でした。
言葉は悪いかもしれませんが、対処療法的なものでした(あくまでも私にとっての話です)。
「今度はワークを受けようかな」と思っていても、波動の時期には調子が悪くなって個人セッションに申し込むことが続きました。
今回、気持ちも体の調子もよく、思い切って2日間申し込みました。
「本来の自分」に芯となるものが感じられない不安(原因となっているもの)を取り除きたかったのだと思います。
1日目のワークでは、最近の状況を話し問われるままに考え、答えるうちに、
心の底では「認められたい!」と願っていながら「縁の下の力持ちでいい」と裏に回って拗ねたり怒ったりしている自分に気づかされました。
その後、夜、寝るまでの間に、今まで忘れていたできごとが思い出され、
それがすべて2日目のワークにつながりました。
保健室コーチングでの学びによって、頭では自分や家族、周囲を理解して受け容れ
昇華できているつもりでしたが、体の記憶は別物でした。
幼い頃の家族内での体験(決して私を傷つけようと意図してされたことではない)が原因で、
そこに中学校でのできごとが追い打ちとなって、今の自分の行動に大きな影響を及ぼしていることがわかりました。
人をなかなか信頼できなくて、裏切られるのがこわくて、人とのつながりを自分で切って孤独をまとっていましたが、
ワークで
「信頼していいんだ。信頼すればつながれるし、こんなに包まれている感じがするんだ」
と気づきました。
これまでの個人セッションも私には必要だったのですが、
ワークでは他の参加者の方から得られた気づきも多く、
その場にいるからこその刺激があり不思議なひらめきや連想へとつながっていき、
ワークによって自分が抱えていた漠然としたしんどさの理由がわかり、
それから解放されたと思います。
それにしても、私が普段子どもたちを見ていて気になって仕方がないこと(たとえば自己肯定感や愛着の問題)は自分の潜在意識が反応しているからなのでしょうか。
提案された人権教育の来年度の目標にあった「受け止める」という表現にひっかかりを感じたのも…。
また、レジリエンスコーチ養成コース1期の最後に
私は「手をとりあって実践するレジリエンスコーチになります」と宣言していたのですが、
そこが自分の課題だと気づいていたのでしょうか。不思議です。
姫先生が「自分ができていないで、何を語れるのか。」とおっしゃっていることは、
単に「自己肯定感」とか「レジリエンス」があるとかないとかで一般に表現されるものなのではなく、
本当はもっと深い、「本当の自我で生きる」そして「己の為すことをする」といったレベルのことで、
それを目指すといったその人のあり方なのだと感じました。
まだ表に出てこないものが自分の中にはあると思っているので、また参加するつもりですが、
しばらくは今回得られたことを大切にして、ほかの人を受け入れて過ごします。
ありがとうございました。
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