【レジリエンスコーチ養成コース3期 第3講感想Nさん(兵庫県より参加)】
講座が終了して10日程経ちますが、講座中に体感した「全部抱えて生きていけばいいんだよ」というメッセージで包まれたような感じが今も続いている。
Yちゃんが描いたあの絵のように自分が包まれている感覚。
幼子が母親がそばにいないと不安になっていたのが、いつしか母親から離れても保育園や母親以外の大人と過ごせるようになる。
これは、母親という「安心基地」を持ち歩けるようになるからだと聞いたことがある。正にそんな感じ。
「そんな感じ」を言語化したら? と自分に問うてはいるが、なかなか言語化できずにいる。
ただ、2日間が安心安全な場であったこと。その中では、何を言っても大丈夫という安心感があったこと。
2日目の朝のYちゃんの言葉に想いがのった授業をみせてもらったこと。
そして、2日間の全ての学び、想い、感動、かかわりが煮込まれたような、そんな感じである。
私は、今回の8分間の授業で目指したのは、ターゲットに「色んな自分がいてもいいんだよ」ということを伝えたかった。ただ、授業をしてみて「色んな自分がいてもいいんだよ」をつたえるのではなく、「色んな自分がいるんだよ」ということだけで終わってしまったと思った。
自己肯定感をわかったつもりでいたけれど、わかっていなかった。なぜ「色んな自分がいるんだよ」止まりだったのかを考えると、そもそも「自己肯定感」の本質をわかっていない?
結局何を伝えたいのかが明確でなかった?
自分自身が「どんな自分もいてもいいんだよ」と受け容れていなかった?
いろんなことが考えられるが、やっぱり私自身がどんな自分もいてもいいんだよと思えてなかった。
それは、私の中の「おこりんぼレンジャー」。きっと自分には必要な存在。
そう思ってはいるが、いない方が楽になるんじゃないかとずっと思っていた。
自分の中で幅をきかせているのに居場所がないレンジャー。
そんな風に思っているレンジャーが実は自分にとって必要だったのだと体感したワーク。
その時にようやく自分の中で必要だったんだと思えた。
つい先日、職場で要管理生徒の初歩的な安全確認がされないことが起こった。突発的な行動に出ることがあり、授業に出ていなかったら、必ず保健室へ確認に行くということが共通理解されているはずなのに、教科担任は、授業にいないことがわかっていて、どうせ保健室だろうと思って確認を怠った。
その授業が終わってからその生徒が「授業に出ずにトイレにおってん」と言いにきて初めて授業に出ていないことがわかった。
何もなかったからよかったものの、何かあったら取り返しがつかないのに!と私のおこりんぼレンジャーが顔を出した。もちろん、家での感情むき出しのおこりんぼレンジャーではなく、冷静なおこりんぼだったけれど、あ~こんな風に必要だったんだとようやくわかった。
その夜、おこりんぼレンジャーに「いてくれてありがとう。私を守っていてくれてありがとう」とお礼を言った。顔を真っ赤にして目をつり上げて仁王立ちしているおこりんぼレンジャーがちょっと嬉しそうに笑って、私の中の空いている席に座って他のレンジャーと談笑している姿があった。
私の中のおこりんぼレンジャーは、またいつか私の中で居場所をなくすこともあるかもしれない。
でもきっと大丈夫。「全部抱えて生きていけばいいんだよ」とレジ3期の仲間との学び、かかわりの中から伝えてもらったメッセージでちゃんと包まれているから。
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