お食事会からたくさんお話しさせて頂き、
病気が繋がっているところについて詳しいお話が聞けてすごくよかったです。
病歴の多い私にとって、それが起こったのも治ったのも、すべて納得ができました。
今回の個人セッションは、先日からの続きで暴れる娘のことから 母との問題に繋がりました。
母に暴力を振るっていた父が、幼い私の心に影を落としたことは分かっていましたが、
父の機嫌を何よりも最優先する母に対してもずっと違和感は持っていたのですが
それが何なのかはっきりとは分からず、
病気の私を抱えて耐えてきた優しい母、というところで止まっていました。
でもそれは、穏便に過ごすため、
自分の居場所を確保するためのベールであって、父だけでなく母も同じように、
ありのままの私を拒否していたんだ、ということがはっきりと分かりました。
そして、私が出させてもらえなかった感情を、今 娘が出している、
母親の私が元気になってきたから、あぁもう安心して出してもいいんだ、
と3歳まで我慢してきた分を思い切り出しているんだということが本当によくわかりました。
母は、私のぜんそくが中学生になって自然に治ってからも、
全てにおいてもともとぜんそくなんだからそんなことしたらまた発作が出るよ、
とか、身体が弱いあなたがそんなことは無理だからやめときなさい、などと、
治っているにもかかわらずそれを否定するかのように病気扱いし続けることで否定のメッセージを送り、
身体の弱い娘の世話と言う自分の役割、生き甲斐、言い訳を40年も確保してきました。
母にとって私は、いつまでも病弱な子、自立できない子でいてもらわないと困る訳で、
私もそれに応えるかのように、次々といろいろな症状が出ても治そうという気は一切なく
毎朝血を吐いているときですら何年も病院にも行きませんでした。
結婚生活をしていたときも断っているのに毎日のようにおかずを持ってきたり、
結婚が壊れる方向の発言ばかりして、実際に離婚に至ると、
これで気兼ねなく手伝いに行けるわ、と言われたときは、
この人は、本当は娘が幸せになることを望んではいないのだろう、ということに気づきました。
その一方で、病気ばかりで迷惑だ、あなたのおかげで自由になれない、早く自立してもらわないと困る、などと、
自分が自立させないことと真逆のことを常に言ってくるので、
頭が混乱し気が変になりそうなくらい嫌で、
その心理は何だろう、と今まで理解できませんでしたが、
それは、本当は自分のために私を病弱でいさせているのだ、ということを隠すためだった、ということを知り、
本当に驚き、深く納得しました。
私が元気になってから母のほうが体調が悪くなり
それでも自分のほうが元気だと言って頼んでもいないおせっかいをやめない母は、
今もずっと仲間に入れて~と言っている赤ちゃんの状態であり、
そういう母を助けるために生まれてきた私は、
生まれてすぐから自分よりも小さい母親の荷物を背負って世話しなければならず、
子どもの自分を出せなかった、そして、私の娘もそうだった、と言われて愕然としました。
トラブルばかりで私が大変だった2歳までの間、
娘は赤ちゃんの私を助けてくれていて、今年になって不思議なほどにすべての問題が次々に解決してしまい、本当にもう何も無くなった、
と思われた矢先に
娘が暴れるようになったのは、ちゃんと時期をわかって、お母さんが元気になってきたから今なら出しても大丈夫、
と思ってやっと出している、
2歳までは私も娘に対し、母と同じように自分の荷物を背負わせていたのだ、ということを知り、
とてもショックを受けました。
しかし、すぐにこれまでは母と一緒だったかもしれないけど 3歳の分岐点、
ここからは違う、私は大丈夫、、母とは違う道を進める、私はそのことに気づけたから、
気づかせてくれる先生方や仲間と出会えたから、
といつの間にか自分を信じることができるような自分になっていたことにも気づきました。
毎日、いろんなわがまま、やんちゃを通じて次々と見事なまでにタイムリーな課題を提供し、
私にさまざまな深い気づきを身をもって与えてくれる子ども達は、
計り知れない存在であるとつくづく感じました。
私が、自分から心を開いて人と関わる、という練習をするために
『子どもは、ちゃんと男女ひとりづつで来てるでしょ、人間には男と女がいるからね、』と先生方に言われ、
本当に言葉が出ませんでした。
娘が本当に悪いことをした時の対応についても、しつけはしなきゃいけない、
とした上で、子どもはお母さんが、これでいい、とはっきりと思っているやり方で育てるのが一番いいんだ、
というお言葉が心に深く染みました。
個人セッションで、体の調整をして頂いて、6月より全然いいよ、と言って頂けました。
それでも潜在意識のところや腎臓がよくなっていくときの出口のところがめちゃくちゃ痛かったです。
母とのしがらみを取るのをお願いして、間脳にはあまり何も残ってなく、体の記憶のほうだと仰っていました。
お食事会の時も話していましたが、帰り道は6月の時と同様、
ぼーっとしていたけど視界は驚くほどくっきりクリアになっていました。
本当にありがとうございました
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