【養護教諭 M先生(石川県)の感想と気づき】
今回の講座は一言でまとめると「アウトプット」
しかし、何をアウトプットするのか、どんな方法、切り口でアウトプットするのか。
さらに、何のためにアウトプットするのか。
それが曖昧なままだとエライことになる(汗)ということが身を以って分かりました。
そして、それは本当に当然のことなのですが、
「アウトプットする内容」について真の理解がないということの現れだということ。
また、再度わかったつもりで授業や発表を構築し直しても全く解決しないということ。
これは不思議なもので、講座で陥った出来事(アソシエイト、ディソシエイトの概念の説明をするところを、
サブモダリティチェンジという手法で体感させようとして混乱)と
同じような混乱を翌日の授業で再現してしまい、ようやく気付きました。
本質の理解、それも「知っている、分かっている」というレベル以上の深い理解なしに手法に走っても自分も生徒も不幸ということなのだ。
また、自分のパターンとして、
知識として自信がないのに一度トライして何とか乗り切った記憶や出来事に頼り、
そればかり連呼することがわかりました。(アソ、ディソはやったことないが、サブモダリティチェンジのワークは何度か経験があり、無意識にその話題を選択した)
ただし、今回はそう言ったいわゆる「失敗」に関して落ち込むとか、気にするとか、
後悔とかの感情は、全く起こらなかった。
これまでの自分だったら、気にしない風を見せつつも結構、失敗の映像が何度も蘇ることがあったのですが、今回は全くない。
実は、今回の振り返りを一言で表すと「空っぽ」になります。(果たして「空っぽ」は感想なのか。恐怖の言葉にも思え、迷いましたが誤解を恐れずに書きます)
これまでは、講座が終わるたびに、
頭の中に知識・刺激・さまざまなものがぎゅうぎゅうに入り、まさに「脳みそパンパン」状態になっていたのですが、
今回は「空っぽ」になった感じなのです。
3講が終わったとき、一緒に帰るメンバーからもいつもと違う私の様子に「大丈夫?」と声を掛けられるほどだったのですが、疲れたという自覚はなく、翌日になり「空になった」感じがじわじわと起こりました。
なぜなのだろう。この違い。
思い当たることは、指導案の検討の際に、これまで自分の中に元々あった遠慮や躊躇、どう受け取られるかの不安(私の交渉パターン)等を持たずに率直な意見が言えたこと。
グループのメンバーといい指導案を作るという目的に向けて、メンバーの指導案も自分の指導案も同等の思いで話し合い「思ったことが出せた」という実感。
また、これは私だけでなく、ここにいる人皆がぶれずに同じ思いでいる!という信頼と協同。
もしかしたら、これが姫先生がはじめに話された波動の繋がりなのでしょうか。
難しくてわからないのですが、もしそうだとしたら、深すぎます。
保健室コーチング。
「空っぽ」でいいのか、という不安もすこしありますが、
この空っぽの状態が、これから何かで満たされていくというイメージを持って、日々実践していきます。
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